旅と旅行

この記事では旅歴10年超の筆者が、旅と旅行について自論を述べています。

はじめに

私の中で「旅」と「旅行」には明確な区別があって、この違いは脳内に溶け込んでいる。日常的な会話であっても、無意識に、でも確実に、この二つを使い分けて話している。

大学生になって以来、基本的に私は「旅」をしてきた。誰かと「旅行」する事もあるが、一人でするのはいつも「旅」だ。旅歴は10年を超えたが、死ぬまで「旅」をしたいと思っている。

「旅」への想いには熱いものがあって、このブログでも『旅行・旅』カテゴリーの記事を書くとつい文章が多くなってしまう。

カテゴリー名を『旅行・旅』と併記しているのも、旅行と旅は似て非なるものと考えているからだ。

 

これまで旅でたくさん辛い思いをしてきた。

しかし辛いネギほど熱すると甘くなるように、旅での苦しみは時間を置くと甘美な思い出に変化する。辛い旅ほどより良い思い出に変化する。同じ思いをしたくてまた旅に出てしまう。

 

旅と旅行

「旅」と「旅行」という字の違いを見ると「行」の有無に違いがある。私はこの「行」は行楽の「行」に近いニュアンスだと感じる。

「行楽」とはそのままの字の意味を考えれば、どこかにってしむ事。

 

「旅行」には が伴う。

「旅」には が伴う。

 

また英語だと旅行はTravelで、旅はJourneyという事だ。Life is Journeyと言う言葉あるが、旅のニュアンスをよく表している。しみの無い人生なんて無いのだから。

 

私にとっての旅と旅行の違いは以下になる。

旅行
目的 冒険・成長 癒し・リフレッシュ
プランニング あまり計画しない しっかり計画を組む
偶然・必然 天から降った偶然 人が予定した必然
志向 その土地の人の日常 観光地やリゾート地 
苦しみ 必要 不要
楽しみ 自らの探しに行く 他人から提供される
喜び 自ら発見する 誰かと共感する
会話 自分、脳内の他人、旅先の他人 同行した親しい他人
その他 「自分」と行く 「他人」と行く

一言で言えば「旅」とは見知らぬ土地に飛び込んでみる冒険であり「旅行」とは見知らぬ土地にて受ける接待だ。  

私の旅のはじまり

私に旅を教えてくれたのは「オートバイ」だ。学生時代にオートバイで色々な旅をした。ツーリングと呼ばれる行為だ。

オートバイは「苦しみ」が約束された乗り物だ。

 

真夏のアスファルトの照り返し。

手足の感覚を奪う真冬の北風。

雨で滑りやすくなった路面に蒸れと視界の悪さ。

 

バイクにはこれらを回避する方法がない。常に体はむき出しで外界からの全てを受け入れなければならない

走行中にトラックが横切れば、その風に煽られる弱い乗り物で、おまけに荷物もほとんど積むことが出来ない。なんて不便な乗り物なのだろう。

 

[caption id="attachment_1662" align="alignnone" width="1024"] 旅の途中、停めていたバイクが強風で倒れ、ハンドル周りを故障。近くのバイク工場に駆け込むことに。[/caption]

 

だけどこんな大変さや不便さがあるからこそ、当たり前の喜びを人一倍感じることが出来る

 

例えば、不快な雨の中を数時間走ってきて、その後に青空が見えれば、誰だって嬉しい。

だけど、この時のオートバイに乗ったライダーの嬉しさと言ったらハンパではない。時に「神様に感謝」といった想いすら抱いている。

 

車に乗っていれば「視界」を通して青空を味わうことが出来るが、バイクの場合は「全身」で味わうことが出来る。

濡れた体は乾燥しはじめ、体の表面は徐々に温かく。ヘルメット内の曇りはとれ、いよいよ路面が乾けば、濡れによるスリップの警戒からも解放される。

辛い雨を乗り超えたからこそ、青い空を心から喜ぶことが出来るのだ。

[caption id="attachment_1691" align="alignnone" width="1024"] 四国一周ツーリング[/caption]

 

そして、またいつか同じ目に遭う事を想定して、自分なりに対策を講じる。やはり、また同じ目に遭い、その対策の結果を検証する。

そこで対策の成果を実感できれば、自分の工夫の成功を喜ぶことが出来る。

こうした「苦しみ→対策→克服→更なる挑戦→苦しみ」のサイクルを繰り返す事で自分を高める喜びを感じられることが、旅の醍醐味だ。  

旅行が嫌いなわけではない

私は「旅」を主軸においているが「旅行」を否定しているわけではないし、嫌いなわけでもない。

「旅」も「旅行」も日常からの脱出という点で共通しており、何より私は移動時間が好きだ。

私が好きな時間は、目的地に向かって自宅を出た瞬間から、目的地に至るまでの前半部分だ。

 

飛行機を使った旅行なら、自宅から空港までの移動時間が愛おしい

特に成田空港に向かう際に、京成スカイライナー成田エクスプレスなどを使う場合には、もうそれだけでご馳走であり、足元に荷物を抱えつつ、窓の外の流れる景色を見ている時間など至高である。

この点、羽田空港は都内に住む人間には便利であるが、品川から羽田までの京急線での移動は、日常の風景と重なる部分が多く、あまりテンションが上がらない。それでも羽田は便利すぎて手放せない。羽田空港大好き。

 

[caption id="attachment_1711" align="alignnone" width="1024"] 品川で駅弁を買って成田へ。一度こういうのをやってみたくて。[/caption]

 

旅行に行く時に考えるのは、いかに一緒に行った人と楽しみ、感情を共有するかという事だ。

例えば私は北海道大好き人間であり、学生時代のバイク北海道一周を皮切りに、かれこれ10回近く北海道を楽しんでいるが、このうちの数回は、北海道旅行をしたことの無い人を引率するような立場で同行している。

こういった時は、自分よりも同行者の欲望を優先する。いかに同行者に北海道の良い思い出を作ってもらうかという事に終始する。

これは一見利他的にも見えるが、結局私は、大好きな北海道の良さを誰かと共感し合いたいだけなのだ。良いものを見つけたら誰かに教えたくなる感情だ。

また、自分が初めての土地に、誰かと旅行に行く際にも、旅行への考え方の根っこ一緒で、同行者といかに楽しい思い出を作るかに尽きる。

有名観光地やホテルなどでの時間が、旅行の主目的であろうが、むしろ私は目的地に至る過程での、出発日の高速道路での車内会話や、サービスエリアでの小休憩の方が好きだったりする。

旅行は必ずしも豪華である必要はない。宿泊するのがボロ宿でも、気心知れた仲間と行けば楽しい思い出になる。

[caption id="attachment_1709" align="alignnone" width="768"] 仕事終わりに集合し、友人達と下呂温泉を目指す ワクワクする時間[/caption]  

さいごに

旅と旅行は似て非なるものだ。だけどそこに優劣はない。個人の好みの問題であり、上手く使い分ければよい。

 

私は基本的に「旅」を志向する人間だ。だけどやっぱり旅は疲れる。

全身の感覚を全開にして、見知らぬ土地にダイブするには、気力も体力も必要だ。

自分にパワーが貯まっている時には、前向きに失敗するために旅をして、自分を成長させよう。

 

だけど人はいつも元気満々なわけではない。

電池残量が20%を切りそうになる時だってある。

 

そんな時は、他人の手を借りたっていいじゃないか。

誰かから「おもてなし」されたっていいじゃないか。

いつもアクセル全開では焼き付いてしまう。人生は長いのだから。